二年半の通院

私は高校生の頃、階段から落ちて主に口腔内を怪我して二年半通院していました。
救急で運ばれた病院は自宅から電車で片道1時間半はかかる場所でしたが、途中近場に転院するものの気の合う担当医だったため二年半もの間片道1時間半かけて通院していました。
はじめは治療も痛いし通院は遠いし行きたくない気持ちもありましたが、怪我がよくなっていくうちに治療にも余裕ができ、合間に担当医と世間話をするようになりました。
また通院の日には母が付き添ってくれたので、帰りに美味しいものを食べたり買い物したりして、すっかり通院の日が楽しみになるようになりました。
そして4月から社会人となることになり、平日の通院が厳しくなりました。怪我も落ち着き経過観察が続いていたため、ひとまずこれで治療は終わりにしましょうということになりました。
本当だったら終わったと喜ぶところだったのかもしれませんが、二年半もの間1人の先生にお世話になり、時にプライベートの話をして盛り上がったりもしたので、会えなくなることに寂しさを感じました。
これまでの治療に感謝し最後に一枚写真をとって頂いて二年半の長い通院期間は終わりました。
あの先生だったからこそ、遠い病院まで辛い治療に二年半も通院できたのだと思います。
今でも時々思い出しては感謝しています。
特に看護師さんにはお世話になりました。
今は病院は辞めてフィールドナースとして働いているそうです。

子供のころ、遊び場が病院だった

私が小学生3年生のころ、父親が糖尿病の合併症が原因で生死をかける手術をしました。
「もうダメかもしれない」という親戚や母親が話していたことを鮮明に覚えております。
丁度、夏休みということもあり、私と2歳下の弟は母に連れられて父の看病によく行きました。
弟もまだ小学生になったばかりなのであまり状況を理解しておらず、常に退屈そうに遊んで欲しそうにしていました、
私はそんな弟を連れて病院内にあるプレイルーム(子供の遊び場所、おもちゃや漫画など置いてあります。)へ度々行きました。
そこには私たちと同じように小さな子供たちがたくさんいました。
プレイルームに置いてある本やおもちゃは古いものばかりでした。
私は当時、悲しいという感情よりも病院へ通うという非日常さを感じていました。
幼さ故に弟ほどではないにしろ、父の生死についてあまり理解できていなかったのだと思います。

父は腕のいいお医者様のおかげで無事に回復致しました。
なんと20年近くたった今でも行きております。
そんなこともあり、あのプレイルームで過ごした夏休みは実は夢だったのではないか?と時々思ってしまうのです。

ツアーナース